京都古地図 [pro-0145]

京都古地図 [pro-0145]

販売価格: 880円(税別)

(税込価格: 968円)

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商品詳細

学習塾必需品の

教室掲載用京都古地図


です
大サイズですので 毎日 見ることで興味がわき知識が豊かになります

昭和初期の京都を表した古地図です 洛北 洛東 洛西 洛南 と4地区に 分割描写された美しい古地図です  
その当時の街の様子、鉄道などが描かれ美術的価値も高いです  
サイズ A3 297mmx420mm 紙質 厚紙 フルカラー版ポスター









昭和初期に作製された「京都市明細図」
京都市街地の昭和初期の地図が、現在の地図と重ねて見て明治期から現在に至る京都の都市的変遷の理解にすることが可能です 京都は延暦13年(794年)に日本の首都になった平安京を基礎とする都市で、明治天皇が東京に行幸するまでの約1080年に渡って皇室および公家が集住したため「千年の都」との雅称で呼ばれています。平安時代、室町時代の室町幕府期には日本の政治の唯一の中心であり、鎌倉時代、室町時代の中の戦国時代、安土桃山時代、江戸時代の幕末期などにおいても、日本の政治の中心の一つとして大きな役割を果たしました。

平安時代から江戸時代前期までは日本最大の都市であり、その市街地は「京中」、鎌倉時代以降は「洛中」と呼ばれ、都市としては「京」「京の都」「京都」と呼ばれました。江戸時代には三都、明治期には三市、大正期以降は六大都市(五大都市)の各々の一角を占め、戦後には政令指定都市になりました。このような中で都市生活者向けの商工業が発達し、特に国内流通が活発化した江戸時代には、全国に製品を出荷する工業都市となる一方、数々の技術者を各地の藩の要請に従って派遣しました。その伝統は現在も伝統工芸として残るのみならず、京セラや島津製作所など先端技術を持つ企業をはじめ、任天堂やワコールなど業界トップクラスの本社が集まるなど、現代産業を支えている地域の一つです。

第二次世界大戦の戦災被害を免れた神社仏閣、古い史跡、町並みが数多く存在し、宗教・貴族・武家・庶民などの様々な歴史的文化や祭りが国内外の観光客を惹き寄せる観光都市であり、「国際観光文化都市法」に基づく国際観光文化都市に指定されている。さらに、旧帝国大学の京都大学をはじめとする多数の大学が集積し、国内外から学生や研究者が集まる学園都市ともなっています。

四条大橋
京都府の南部に位置する内陸都市で、市内を賀茂川、桂川、宇治川などが流れています。

四条河原町(四条通と河原町通の交差点付近)は京都で最大の繁華街です。

市内の街路名
市内の中心部など旧市街地では、街路名(通り)を基準とした住所表記が一般的に用いられています。

旧市街地では、平安京造成時の都市計画の名残で、東西・南北に通じる街路をもってあたかも碁盤の目状に区切られており、街路はすべて固有の名称がある。 なお、街路名に付される「通り」の送り仮名「り」は付けないのが通例です。

街路名を基準とした位置の表記
主に碁盤の目状に区切られた街路を持つ地域では、街路名の交差とその地点からの東西南北を指すことによって位置を示す方法が一般的に用いられ、町名や番地は省略するのが通例です。

先ず当該地が面している街路名を示し、次にその街路と直近で交差する街路名を示したうえ、その交差点から見た当該地の位置を東西南北で示します。北に向かう場合は上ル/上る(あがる)、南へは下ル/下る(さがる)、東西に向かう場合はそれぞれ東入(ひがしいる)、西入(にしいる)と表記する。一例をあげると、京都市役所の所在地は「京都市中京区寺町通御池上ル(公的には「上る」) 上本能寺前町488番地」となり、寺町通に面し御池通から北に向かった地点を「寺町通御池上ル」で表し、その後ろに町名の「上本能寺前町」と番地を示します。

近世に多く描かれた屏風絵に京都の中心部と郊外を表した「洛中洛外図」というものがあります。現在でも京都市内の地域名として以下のようなものがある。行政や観光ガイドでもよく使われるが厳密な区分はありません。

洛中(らくちゅう)- 上京、中京、下京の各区の辺りの呼び方
洛外(らくがい)- 洛中の周縁の地域
洛東(らくとう)、東山(ひがしやま)- 左京区銀閣寺辺りから東山区まで
洛北(らくほく)、北山(きたやま)- 北区上賀茂から北大路通辺りまで
洛西(らくさい)、西山(にしやま)- 右京区南部から西京区、乙訓辺り。嵐山など。
洛南(らくなん)- JR京都線・琵琶湖線 あるいは九条通り以南、伏見辺りまで。